■■ ちっちゃくちっちゃく雑談 ■■
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桜宮高校入試中止問題

若様の中学時代の同級生に桜宮高校へ進学している方が
いるのかどうか定かではないが(少なくとも若様が知る自分の周囲には
いない様子)、ひとまず中止という形になりましたね。
看板を付け替えただけ、との意見もありますが。

政治と野球と宗教の話は野暮ですが、
個人的見解を以下に。

 

初めて「中止」の意向を知った時には、世間と同様に、
直前の受験生は可哀相に・・・・という感想を抱いた。

でも、よくよく考えてみると、どっちが可哀相なんだ!?て事に思う。
体罰を容認してしまっている体制の学校へ進む事が、
そもそも可哀相って事ではないのか、と。

確かに桜宮高校の体育科を目指していた受験生にとって
進路に関わる重大な事で、中止になるのはショックだろう。
ただ、何を以て志望しているのか、というところに目を向けると
体罰を良しとする学校が良いと思って志望している訳は無い筈。
寧ろ、体罰問題が浮き彫りになった事によって、自発的に
志望校変更を検討するレベルに思う。

体罰をずっと容認してきた体制の学校が、きちんとしたメスも入れずして
すぐにも生まれ変われるとは思い難い。
厳しく薙刀をふるって、それこそ教員は総入替をして
イチから始めてこそ、初めて新入生を受け入れる事が出来るのだから、
現状それが実行出来ていない今、受け皿の無い状態では中止するのが妥当な判断。

今、汚いものに目隠しして、新入生を受け入れたとすれば、
同じ事の繰り返しをする可能性は極めて高いと思わざるを得ない。
過ちは繰り返さない事が何よりも肝要であり、その為には
上っ面の文字だけの改善案では駄目なんだ。
澱んだ汚物を浄化していく事は極めて困難で、それに付き合わされる生徒が気の毒。
ならば、一旦その汚物は取り除いて、清水で満たして晴れ晴れと生徒を迎えるのが
結局は早道で生徒の負担も少ない。

現時点の在校生はその澱みに浸かってきていて、卒業までに清水を拝めるか
どうかも危うい訳で気の毒でもあるが、長いものに巻かれたとはいえ、
体罰を自分達こそが容認してきた為に悲劇を招いた、という自覚を持って
自分達の学校の再生にチカラを尽くしてほしいと思う。

部活動停止・教員入替・入試中止について在校生が反対している声も
多いようだが、私にはその気持が判らない。
自分さえ良ければいいのかな?
自分はどんな体罰を受けても自殺を選ばないという驕りがあるのかな?
市長が「良くも悪くも教師と生徒の団結が凄い」というような事を
発言していたが、こういう事かもしれない。

受験生やその親達の反対意見も私には不思議。
去年受験を経験したので、割と容易に自分と若様に置き換えた想像を
しやすかったが、もし仮に我が子が桜宮高校体育科を志望していたとしたら、
志望校変更をまずは検討する。
何を以て志望したかという意義が、根底から覆される程の出来事だと思うから。

体験へ参加して教師に好感を抱いていたとしても、体験の時に体罰が
飛び出す筈もなく、人はいくらでも仮面を被れるものだ。
教師一人が独断で初めて体罰を行った訳ではなく、学校側は
知りながら何の対策を講じる事も出来ず、又、生徒達も当然見聞きしている筈なのに
それを受け入れていたのだから、そんな無法地帯に我が子を送りたいとは
露程も思わない。
ただ桜宮高校という入れ物を良しとしているのか、と疑問に思う。

市長の意見は一時の感情だとは思わない。横暴とも思わない。
長期的な目線で、結局何が一番大事なのか、と考えると
生徒・ひいては受験生の事を一番に思っての発言に思う。
「これまで目指して準備してきた」という受験生側の負担や心の叫びは
気の毒には思うけれど、それは目の前の悲劇で、入学してから卒業までの
悲劇と天秤にかけたら、到底比べる事の出来るものじゃない。
次元が違う。

とにかく入試が中止になって良かった。
確かに看板をすげ替えただけという懸念もあるけれど、
だからといって中止になるのとならなかったのでは天と地程の差がある。
少なくともうやむやにはならなかったという点が大きく違う。
体育科を復活させる為に、動く事を必然的にしなくてはいけない状況に
追いこめているんだから。

今回の問題で、つくづく感じたけれど、
何を自分の優先順位の第一位に持ってくるかによって、こうも人の見解は違う。
いわゆる価値観の相違ってやつか。
そう言ってしまうと、何が正当な価値観かなんて誰にも決める事は出来ないけれど
少なくとも私は、何が一番問題で何が一番大事なのか、という視点で
考えたつもり。

どちらにしても受験生はよく考えて臨んで、そして何があっても
自分で考えて相談もして自分の信じた道を切り開いていってほしい。
そうすれば、仮に過ちがあったとしても正せるし、理不尽な事にも
対応出来ると信じる。
間違っても、あの時市長がこう決めたから、とか、あれこれ責任転嫁は
しないでほしい。例え負担は大きくなっても、選択権は自分にある。
選択する事には常に何らかの責任が生じる。
それは自分に対して、だから。



| 08:53 | 時事 | comments(0) | - |
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